おこめさんちのミミヨリな話

両耳小耳症&重度難聴の息子と、日々の徒然

“障害”とは

コメタは身体障害者手帳を持っています。

聴覚障害があります。

そのことには、もう違和感はありません。(コメタの難聴が分かった頃は違和感、というか、なじまない感じがありました)

 

でも“コメタに”障害があるかというとそれは違うような気がしています。

小児科医をしている知人がこう表現していました。

 

『障害というのは、その人の特徴と、社会の構造や環境の掛け合わせで、どのくらい不便が生じるかということ。』

 

前回の記事にも書いたように、コメタはこのままで素晴らしい。パーフェクト。小耳や難聴はもって生まれた特徴に過ぎない。

できることなら、このままのコメタで、胸を張って、不自由なく生活していってもらえるのなら。それが一番いいと思います。

 

ただし、世間では音がある世界がメジャーで、音声によるコミュニケーションに頼るところがまだまだ大きい。両親である私たちも音のある世界で生きてきてその便利さ、楽しさも知っているから、その世界をコメタにも見せてあげられたらと思っています。

また、手話の文法と日本語の文法は違うため、難聴者には正しい日本語を身に付けることが健聴者に比べると難しい所があるそうです。日本語の力は社会人になってからもとても重要だと考えていますので、そういった面からも人工内耳を装用して音を入れることのメリットを感じました。

 

手話によるコミュニケーションを主にして生活されている聾の方たちの中にも彩り豊かな文化があるのだろうとは思います。でも、人工内耳を入れて効果が見込まれる幼いうちに装用し、コメタには選択肢を増やしておいてあげたいと思うのです。

今の年齢では本人と相談して決めることはできませんから、申し訳ないけれど、親の考えで手術に踏み切ることになります。申し訳ない、とは書きましたが現時点での最善の方法だと考えてのことですので、将来コメタにもきちんと話したいと思います。

 

また、小耳に関しても、いくら親とはいえ生まれて小耳が分かってすぐは違和感がありました。左右で明らかに大きさの違う耳。他の赤ちゃんと比べても明らかに小さい右耳。

今となってはどちらの耳もかけがえのないコメタの可愛いお耳です。

将来的には形成手術も考えていますが、このままのお耳で不自由なく過ごしてくれるならそんなにいいことはありません。

でも、例えばマスクをするとき。眼鏡を掛けるとき。このままのお耳ではどちらもうまく掛けることができないでしょう。

また、身体に奇形のある人に対し周囲の人の反応はどうでしょう。親である私ですら始めは戸惑ったのですから。

 

“障害”。この捉え方は人それぞれでしょうし、特性にもよるかと思います。

でも、どんな特性をもった人も、その人らしく、ありのままの姿で快適に過ごすことができる世の中になっていったらいいなと切に願います。